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仙台高等裁判所 昭和58年(行コ)16号 判決 1984年11月12日

控訴人 高柳博一

被控訴人 いわき税務署長

代理人 林勘市 庄司勉 ほか二名

主文

原判決を取消す。

被控訴人が控訴人の昭和五四年分所得税にかかる更正の請求に対し、昭和五五年一〇月七日付をもつてなした更正すべき理由がない旨の通知処分を取消す。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決の事実摘示(但し原判決二枚目裏末行の「被告に対し」の次に「前項と同旨の」を加える)と同一であるから、ここにこれを引用する。

一  控訴人

1  所得税法上の課税標準は、当該納税者の当該年度における総収入から必要経費を差引いたものである。更にその額から基礎控除、配偶者控除、扶養控除等の所得控訴をなしたのちの金額が課税される所得となるわけであつて、総売上から経費を差引いた残額と、所得控除額が等しいときには、課税される所得はゼロになるのである。

医業を営む個人は、必要経費の算入につき租税特別措置法(以下「措置法」という。)二六条一項によることを認められているが、たまたま同法条に従つて課税所得を算出した結果、課税されるべき所得としてなにがしかの金額が算出されたとしても、収支計算の方法に従つて算出するとゼロになる場合は、それは単に計数上の所得であつて、客観的な存在としての所得ではない。措置法は、所得のないところに課税することを目的とするものではなく、殊に、同法二六条一項は医師に対する税負担の軽減のために設けられた規定であるから、同法条を根拠に所得のない部分に対して課税することは許されない筈である。

2  確定申告に際し、収支計算の方法によるか、措置法二六条一項の規定を適用して計算するかは納税者の選択によつて定まるものであることに異論はない。したがつて、収支計算の方法により確定申告をなした後に、措置法二六条一項の規定を適用して計算した方が有利であることが判明したからといつて、収支計算の方法を選択したことが錯誤であつたとして更正の請求をすることは許されないであろう。なんとなれば、この場合には、収支計算の方法によつて算出した所得金額は、いずれの計算方法を選択するかに拘わらず客観的に存在しているのであつて、これをそのまま課税標準とするか、措置法二六条一項の規定によつて計算した金額を課税の基礎としての所得とするかは、まさに納税者の選択によるところであり、後日、措置法二六条一項による方が有利であることが判明したとしても、客観的所得金額の認識そのものにはなんら錯誤がないから、この場合の更正請求は認容の余地がないというべきだからである。

二  被控訴人

控訴人の右主張はすべて争う。

理由

一  当事者間に争いのない事実の記載は原判決理由の一項(原判決一一枚目表六行から一二枚目裏一行まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

しかして、<証拠略>を総合すれば、控訴人の確定申告書記載の総所得金額四二三〇万〇九八七円は、昭和五四年中の控訴人の社会保険診療報酬一億一一六〇万五三五七円及び自由診療報酬四五万九三八〇円を合計した総収入額一億一二〇六万四七三七円から社会保険診療分の必要経費として措置法(昭和五四年法律一五号による改正法)二六条、同改正附則一〇条所定の経費率に基づいて算出した六九一六万五〇五三円(社会保険診療報酬額×〇・五七+五五五万円)及び自由診療報酬にかかる経費一九万八六九七円並びに事業専従者控除四〇万円を差引いた残額であるのに対し、更正の請求書記載の総所得金額三六八三万〇三一九円は、前記総収入額一億一二〇六万四七三七円から収支計算の方法によつて算出した諸経費として七四八三万四四一八円及び事業専従者控除四〇万円を差引いた残額であつて、前者の総所得金額が後者のそれより多いのは、経費の算出方法が前者は措置法二六条所定の経費率によるのに対し、後者は現実の支出額を合算するという方法によつたことから生じたものであり、両者の税額の差異も、主として右のような経費算出方法の相違に由来するものと認められる。

二  そこで、本件通知処分の適否につき検討する。

国税通則法(以下「通則法」という。)二三条一項一号は「当該申告書に記載した課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと又は当該計算に誤りがあつたことにより、当該申告書の提出により納付すべき税額が過大であるとき」には当該申告書にかかる国税の法定申告期限から一年以内に限り更正の請求をすることができる旨定めているが、その趣旨とするところは、納税者が自らの申告により確定させた税額が過大であることを法定申告期限後に気付いた場合に、申告者にこれを是正する機会を与えてその権利救済に資するにある。申告納税方式における納税義務者は、申告行為によつて具体的な租税債務を負担するに至るのであるが、納税者が申告をしたのち、その申告内容に変更を加える必要の生ずる場合があることは否定できないのであり、このような場合にはその修正を認めるべきである。しかし、あらゆる場合に自由にこれを認めることは、申告の前述のような性格に照らして適当といえないのみならず、納税義務の具体的内容を不安定ならしめ、行政を混乱に陥れる弊害もあるので、これに一定の制限を加え、一定の期間内に限り、特定の手続によつてのみ是正しうるものとしたのである。したがつて、右手続によらず民法九五条の錯誤の規定のみを根拠に、申告行為の無効を主張することは許されないことになる。そしてまた、一定事項の申告等を条件に所得額、税額の減免をすべきものとされているものについて、その申告等をしなかつた者が後日その特例の適用を求めるために更正の請求をすることも許されないと解される。

ところで、措置法は、所得税等の租税を軽減、免除することによつて特定の政策目的を達成することを目的とするものであり(同法一条)、同法二六条の社会保険診療報酬の所得計算の特例に関する規定の趣旨も、社会保険診療にあたる医師又は歯科医師に対する税負担を軽減することにより医療制度の安定と円滑な運用に資することを目的としたものである。所得税の課税標準たる事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とされており(所得税法二七条二項)、必要経費の意義については所得税法三七条一項、その計算の方法については同法第二編第二章第二節第四款にそれぞれ規定されているところ、措置法二六条一項は社会保険診療報酬の所得計算の特例を認め、必要経費につき前記所得税法上の各規定によらず、社会保険診療につき支払を受けるべき金額に一定の率を乗じて計算することを認め、これにより前掲の政策目的の実現を期しているのである。したがつて、収支計算の方法により確定申告をした医師が、後日、措置法二六条の規定の適用による税額の減額を求めることは通則法二三条一項一号の趣旨に反するものとして許されないというべきであるが、措置法二六条の規定に基づき必要経費を算入して確定申告をしたところ、これが現実の必要経費よりも過小で、そのため措置法に基づいて算出した税額が所得税法の原則たる収支計算の方法により算出した税額より過大となつた場合には、そのような課税は、措置法の制定目的に反するものであるのみならず、実質上、所得なきものに課税する結果となるから、この場合には当該計算に誤りがあつたものとして更正の請求が許されて然るべきである。そして通則法二三条一項一号はこのような場合の更正の請求を排除する趣旨とは到底解されないから、右のような趣旨の更正請求がなされた場合には、所轄税務署長としては、その収支計算の当否について審査したうえ更正すべきか否かを決すべきである。

被控訴人は、これに対し、医業を営む個人の場合、その年の社会保険診療報酬に係る事業所得の金額の算出を措置法二六条一項の適用によるか、収支計算の方法によるかは、確定申告に際しての納税者の選択により定まるものであり、本件においても控訴人自らがその責任と判断において措置法による所得計算の特例を選択して申告した以上、錯誤の主張は理由がなく、所得税法上の課税標準も措置法上の課税標準も、ともに法律の規定による客観的な存在であるから、措置法上の課税標準をもつて申告したことが、客観的に存在しない所得を申告したものということはできないとし、措置法二六条三項において、同条は確定申告書に当該規定により事業所得の金額を計算した旨の記載がない場合には適用しない旨定めていること及び確定申告に際して選択した計算方法を後日他の計算方法に変更することを認める旨を定めた税法上の規定がないことを根拠として、措置法二六条による計算方法を収支計算の方法に変更することは許されないと主張する。

しかしながら、措置法二六条三項の規定は、それ自体、所得税法上の課税標準たる事業所得の金額が原則として収支計算の方法により定められるべきことを示すものであり、同条による租税優遇措置を受けようとする者に申告書作成上の特別の要件を課したに止まる。本件において控訴人自らがその責任と判断において措置法による所得計算の特例を選択して申告したとしても、同条による租税優遇措置を受けようとしてこれを選択したことが、逆に本来の収支計算の方法による場合よりも税額を過大ならしめたとすれば、そこに錯誤の存することは明らかであり、当該計算に誤りがあつたことになる。もとより措置法の規定を適用して計算したことは、国税に関する法律の規定に従つたものであるから、これによつて導かれた金額は国税法上の課税標準であるといわざるをえず、確定された税額につき更正の請求をすることなく、当該税額を納付したのち、当該部分の所得がなかつたものとして国に対し不当利得の主張をすることは許されない。このような場合のためにこそ、通則法二三条は、更正の請求の手続による減額更正を認めたものというべきであり、昭和四五年法律八号による改正前の通則法二三条が所得税における減額更正の請求を法定申告期限から二月以内に限るものとしていたのを一年以内としたことも、救済を広く認める方策を明らかにしたものと解される。したがつて、計算方法の変更を認めた規定がないからといつて本件の事案につき更正の請求を許さないと解すべきいわれはない。

また、被控訴人は、本件のごとき更正の請求が可能であるとすると申告期限から一年間は課税標準の選択をめぐつて法的安定性が損われる結果となつて不合理であると主張するが、当初収支計算の方法で申告したものについては、後日措置法二六条の適用を求めて更正の請求をなしえないことは既にみたとおりであるし、更正の請求は、請求にかかる税額を確定させる効力を有するものではないから、先の納税申告により確定した税額にかかる納付義務はそのまま存続する(通則法二三条五項)のであり、何よりも本件のような事例は措置法二六条の目的及び趣旨に照らし、頻発するものとは考えられないから、この点に関する被控訴人の主張も採用の限りでない。

三  してみると、法定の期限内になされた控訴人の更正の請求について、その収支計算の当否を審査することなく、単に計算方法の変更は許されないから更正すべき理由がないとしてこれを棄却した本件通知処分は、国税通則法第二三条第一項第一号の解釈適用を誤つたものとして取消しを免れない。

したがつて、控訴人の本訴請求は理由があるからこれを認容すべきところ、これと結論を異にする原判決は不当であり、取消しを免れない。

よつて、原判決を取消し、控訴人の請求を認容することとし、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗 伊藤豊治 富塚圭介)

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